History and culture of Japanese ceramics:焼き物
Ushinoto ware : 牛ノ戸焼
May 11, 2010 1:41 PM Ushinoto kiln : 牛ノ戸焼牛ノ戸焼(うしのとやき)
天保年間(1830-1844)に金河藤七(かねかわとうしち)(鳥取県出身)によって作られていた牛ノ戸焼を、天保8年(1837)石州の人、島根県江津町に小林梅五郎(こばやしうめごろう)親子が継承、牛ノ戸窯として鳥取県河原町牛ノ戸に開窯した。
後に牛ノ戸窯は、二代 小林熊三郎(こばやしくまさぶろう)、三代目 小林秀之助(こばやしひでのすけ)が継承。
昭和6年(1931年)、吉田璋也、柳宗悦、バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司らの激励、指導を受け、四代目の小林秀晴(こばやしひではる/明治34年-昭和54年)が新作民芸に取り組んだ。
民芸研究家である吉田璋也等の民芸活動家達の助言によって、以前から作り続けていた梅紋、伊羅保釉と黒釉白釉の掛け分けに加え、伊羅保釉薬を緑釉に変えた食材が美しく映える作品が新たに加わった。
今やこの緑釉と黒釉の作品は牛ノ戸の代表作と言える。
その後、牛ノ戸窯は、轆轤の名手と云われた、五代 小林栄一(こばやしえいいち/大正3年-平成16年)に受け継がれ、現在の当主、六代 小林孝男(こばやしたかお/昭和26-)が窯と伝統を守っている。
伝統の梅紋作品は、シンプルで良い物は作り続けると言う先代窯主達の意向によって、現在も暖かみのある牛ノ戸窯の作品として作り続けられている。
民芸運動時代にバーナード・リーチ指導によって作られたコーヒーカップは今でも人気が高い。
牛ノ戸窯と作品の特徴
牛ノ戸窯は今でも、地元の良質な土を自ら精製し、陶土を作るところから作品作りが始まっている。
勿論、釉薬も市販釉ではなく、全てが手造りされている。
釉薬は、緑、黒、白、伊羅保釉等。
窯は5連の登り窯、作品は全てこの窯によって薪で焼かれる。
焼周期は現在(平成二十二年)の時点で、一年半に一度のペース、5連登り窯の二房を塞ぎ焼かれている。
牛ノ戸窯レポート/ Ushinoto kiln report
・六代目当主 小林孝男 氏(こばやし たかお/昭和26-)/ ・The 6th Takao Kobayasi
・牛ノ戸窯外観/ ・The Ushinoto kiln external appearance
・登り窯 / ・ Climbing kiln
・母屋内部には民芸運動時代に協力し合った仲間達の作品がディスプレイされている。/
・The works of the craftsman friends who become acquainted and
cooperated each other in the folk craft movement period are
exhibited inside the main building.
・工房内部/・The inside of a studio
・バーナード・リーチ指導によって作られたコーヒーカップは今でも人気が高い。/
Even now, these coffee cups made by Bernard Howell Leach's instruction are popular.
Daisen ware : 大山焼
March 21, 2008 6:45 PM Daisen ware : 大山焼
大山寺十二代禅空道師が焼き物を作ったのが起こり。
以後続いた大山焼も大正期には廃窯となっておりました。
この大山焼を鈴木敏之氏が再興し、1990年に開窯。
鈴木氏は現在も元来の素朴さと、現代感覚を織り交ぜた作品を制作し続けています。
鈴木氏の研究課題でもあった鉄釉を主に使用し、様々な表情を見せる金属色が特徴の玉鋼燿天目をはじめ、青瓷、油滴、均窯、灰釉を使った作品を制作しています。
Kazuwa ware : 上神焼
March 21, 2008 6:42 PM Kazuwa ware : 上神焼
上神焼は、古く宝暦年間に開窯され、伯尾山、伯州尾山と続き、
明治に入り、亀玉、伯面、玉伯の名称で製陶され、
絶えようとする時、平野洞雲に師事した初代藤一が再興を願い、上神山の窯を開きました。
その作風は、その長い伝統と色鮮やかな辰砂の上神焼として皆様より好評を受けて参りました。
日本工芸展入選・皇室の御買上げ等の名誉を受けております。
二代藤一(民也)は父藤一に師事し辰砂はもとより油滴天目、
金彩窯変等、新しい分野も得意とします。
どうぞ御愛用下さい。
鳥取県伝統工芸士
上神山窯元 二代山根藤一
Shigaraki ware : 信楽焼
March 21, 2008 6:33 PM Shigaraki ware : 信楽焼信楽焼歴史:
付近の丘陵から良質の陶土がでる信楽は、長い歴史と文化に支えられ、伝統的な技術が今日に伝えられています。
信楽は日本六古窯の内のひとつに数えられています。
六古窯の中でも信楽の歴史は古く、聖武天皇が離宮を紫香楽(746年)に作った時に、宮の布目瓦や須恵器を作ったことから、信楽焼の長い歴史が始まったと言われています。
信楽焼は、中世末期頃より穴窯によって壺、甕、擂鉢などの焼き物づくりが始められ、独自の陶器産地としての歴史を展開してきました。
古信楽時代(平安末期から徳川初期)と呼ばれる時代には、一休和尚に師事した武野紹鴎や、弟子の利休らが、信楽を茶に取り入れました。
室町桃山期には、茶の流行と共に、"茶陶信楽"が生まれました。
天文 永禄年間(1532-1570)、武野紹鴎は、信楽焼を茶器に用い、利休も好みを焼かせました。
武野紹鴎が作らせた物は紹鴎信楽、千利休が作らせたものは利休信楽と呼ばれています。
利休は、自刃する最後の最後までこよなく信楽を愛したといわれています。
茶人、藤村庸軒や松江藩主で茶人大名として有名な、松平不昧公も信楽を愛用していました。
江戸時代に入ると、藩窯のあった伊賀焼に茶陶生産の地位を奪われていきました。
徳川幕府の御用茶壷を焼いたりしてましたが、その他の多くは、庶民のための、飯茶碗や壷、土瓶、火鉢などの生活雑器を焼いていました。
徳川に入ってから、伊賀がもてはやされて信楽が茶会に出てこないのは、信楽が伊賀に化けて使われていたとも言われています。
文化文政(1804-1830)の頃から、信楽焼は日用雑器を量産するようになりました。
山一つ隔てた伊賀焼では茶陶を中心に焼いていたが、信楽焼は生活雑器が主流となり、江戸後期には、ビードロ釉やなまこ釉などのさまざまな釉薬が用いられるようになりました。
明治期以降は、火鉢や絹糸製造に用いる絹取り鍋、汽車土瓶、植木鉢、庭園用陶器などを主に生産するようにりました。
Iga ware : 伊賀焼
March 18, 2008 7:38 PM Iga ware : 伊賀焼

伊賀焼の歴史:
伊賀焼の歴史は古く、調査等から16世紀後期の築窯が確認されました。
平安時代末期から鎌倉時代の初めごろに本格的なやきものの産地として発展し、室町時代の終わりから桃山時代にかけて侘び茶が広まると、個性的な伊賀焼は茶陶として注目されるようになりました。
伊賀國を治めていた筒井定次や藤堂高虎が茶人であったことから、伊賀焼は茶の湯のセンスや心遣いを巧みに取り入れていきました。
伊賀焼は、「水差、花生は伊賀に優る物なし」と高い評価を受けました。
しかし、江戸期に入り、流れ行く茶道の動向に対応することが出来ず伊賀焼の窯煙は一旦途絶えます。
その後、江戸中期に復興し、土鍋や土瓶等の日用雑器を焼く産地へと移り変わりました。
その後、明治から現代に至るまで、「伊賀陶土」の特性を生かした耐熱食器の産地として、その伝統は受け継がれ続いています。
整った形に手を加えた破調の美。
伊賀焼は、敏感に受け止めることが出来る「焼き物の美」を最も純粋に表しているのです。
Bizen ware:備前焼
March 3, 2008 5:15 PM Bizen ware : 備前焼
備前焼の歴史:
日本には鎌倉時代から、六つの主要な窯場が存在します
(備前焼、瀬戸焼、常滑焼、丹波焼、信楽焼、越前焼)
。
備前は1000年以上の古来から現代に至るまで苦難の時代
を乗り越えながら、炎を絶やすことなく製造し続けてい
る古代窯地の一つです。
備前焼は古墳時代より須恵器の生産を営んでいた陶工た
ちが平安時代から鎌倉時代初期にかけて、より実用的で
耐久性を持つ日用雑器の生産を始めたのが誕生の時代と
いわれています。
備前の美は千利休らによって評価され、"製品"から、"
作品"ヘと新たな芸術の境地が切り開かれてきました。
現在、備前には、金重陶陽、山本陶秀、藤原啓、藤原雄
、伊勢崎淳の5人の人間国宝がいます。
Hagi ware:萩焼
March 2, 2008 5:28 PM Hagi ware : 萩焼

萩焼の歴史:
約400年前、豊臣秀吉と朝鮮半島に渡った毛利輝元が、現地の陶工 李勺光(りしゃっこう)、李敬(りけい)の兄弟を伴って帰国したことから萩焼の歴史が始まります。
毛利氏が萩に城を移した時も、陶工たちは毛利氏に同行しました。その後、李勺光は萩で御用品を焼く窯を開くことを許されました。
この窯が萩焼を焼く最初の窯となりました。李勺光の死後、李敬が窯を継ぎ、藩主から「坂高麗左衛門」の名を受けました。
「坂高麗左衛門」の名は現在も受け継がれています。
当初の萩焼の作風は李朝のものでしたが、その後、楽焼等の作風と新しく開発された釉薬等が取り入れられ、独自の個性を持った現在の萩焼が焼かれるようになりました。
