History and culture of Japanese ceramics:焼き物
Daisen ware : 大山焼
March 21, 2008 6:45 PM Daisen ware : 大山焼
大山寺十二代禅空道師が焼き物を作ったのが起こり。
以後続いた大山焼も大正期には廃窯となっておりました。
この大山焼を鈴木敏之氏が再興し、1990年に開窯。
鈴木氏は現在も元来の素朴さと、現代感覚を織り交ぜた作品を制作し続けています。
鈴木氏の研究課題でもあった鉄釉を主に使用し、様々な表情を見せる金属色が特徴の玉鋼燿天目をはじめ、青瓷、油滴、均窯、灰釉を使った作品を制作しています。
Kazuwa ware : 上神焼
March 21, 2008 6:42 PM Kazuwa ware : 上神焼
上神焼は、古く宝暦年間に開窯され、伯尾山、伯州尾山と続き、
明治に入り、亀玉、伯面、玉伯の名称で製陶され、
絶えようとする時、平野洞雲に師事した初代藤一が再興を願い、上神山の窯を開きました。
その作風は、その長い伝統と色鮮やかな辰砂の上神焼として皆様より好評を受けて参りました。
日本工芸展入選・皇室の御買上げ等の名誉を受けております。
二代藤一(民也)は父藤一に師事し辰砂はもとより油滴天目、
金彩窯変等、新しい分野も得意とします。
どうぞ御愛用下さい。
鳥取県伝統工芸士
上神山窯元 二代山根藤一
Shigaraki ware : 信楽焼
March 21, 2008 6:33 PM Shigaraki ware : 信楽焼信楽焼歴史:
付近の丘陵から良質の陶土がでる信楽は、長い歴史と文化に支えられ、伝統的な技術が今日に伝えられています。
信楽は日本六古窯の内のひとつに数えられています。
六古窯の中でも信楽の歴史は古く、聖武天皇が離宮を紫香楽(746年)に作った時に、宮の布目瓦や須恵器を作ったことから、信楽焼の長い歴史が始まったと言われています。
信楽焼は、中世末期頃より穴窯によって壺、甕、擂鉢などの焼き物づくりが始められ、独自の陶器産地としての歴史を展開してきました。
古信楽時代(平安末期から徳川初期)と呼ばれる時代には、一休和尚に師事した武野紹鴎や、弟子の利休らが、信楽を茶に取り入れました。
室町桃山期には、茶の流行と共に、"茶陶信楽"が生まれました。
天文 永禄年間(1532-1570)、武野紹鴎は、信楽焼を茶器に用い、利休も好みを焼かせました。
武野紹鴎が作らせた物は紹鴎信楽、千利休が作らせたものは利休信楽と呼ばれています。
利休は、自刃する最後の最後までこよなく信楽を愛したといわれています。
茶人、藤村庸軒や松江藩主で茶人大名として有名な、松平不昧公も信楽を愛用していました。
江戸時代に入ると、藩窯のあった伊賀焼に茶陶生産の地位を奪われていきました。
徳川幕府の御用茶壷を焼いたりしてましたが、その他の多くは、庶民のための、飯茶碗や壷、土瓶、火鉢などの生活雑器を焼いていました。
徳川に入ってから、伊賀がもてはやされて信楽が茶会に出てこないのは、信楽が伊賀に化けて使われていたとも言われています。
文化文政(1804-1830)の頃から、信楽焼は日用雑器を量産するようになりました。
山一つ隔てた伊賀焼では茶陶を中心に焼いていたが、信楽焼は生活雑器が主流となり、江戸後期には、ビードロ釉やなまこ釉などのさまざまな釉薬が用いられるようになりました。
明治期以降は、火鉢や絹糸製造に用いる絹取り鍋、汽車土瓶、植木鉢、庭園用陶器などを主に生産するようにりました。
Iga ware : 伊賀焼
March 18, 2008 7:38 PM Iga ware : 伊賀焼

伊賀焼の歴史:
伊賀焼の歴史は古く、調査等から16世紀後期の築窯が確認されました。
平安時代末期から鎌倉時代の初めごろに本格的なやきものの産地として発展し、室町時代の終わりから桃山時代にかけて侘び茶が広まると、個性的な伊賀焼は茶陶として注目されるようになりました。
伊賀國を治めていた筒井定次や藤堂高虎が茶人であったことから、伊賀焼は茶の湯のセンスや心遣いを巧みに取り入れていきました。
伊賀焼は、「水差、花生は伊賀に優る物なし」と高い評価を受けました。
しかし、江戸期に入り、流れ行く茶道の動向に対応することが出来ず伊賀焼の窯煙は一旦途絶えます。
その後、江戸中期に復興し、土鍋や土瓶等の日用雑器を焼く産地へと移り変わりました。
その後、明治から現代に至るまで、「伊賀陶土」の特性を生かした耐熱食器の産地として、その伝統は受け継がれ続いています。
整った形に手を加えた破調の美。
伊賀焼は、敏感に受け止めることが出来る「焼き物の美」を最も純粋に表しているのです。
Bizen ware:備前焼
March 3, 2008 5:15 PM Bizen ware : 備前焼
備前焼の歴史:
日本には鎌倉時代から、六つの主要な窯場が存在します
(備前焼、瀬戸焼、常滑焼、丹波焼、信楽焼、越前焼)
。
備前は1000年以上の古来から現代に至るまで苦難の時代
を乗り越えながら、炎を絶やすことなく製造し続けてい
る古代窯地の一つです。
備前焼は古墳時代より須恵器の生産を営んでいた陶工た
ちが平安時代から鎌倉時代初期にかけて、より実用的で
耐久性を持つ日用雑器の生産を始めたのが誕生の時代と
いわれています。
備前の美は千利休らによって評価され、"製品"から、"
作品"ヘと新たな芸術の境地が切り開かれてきました。
現在、備前には、金重陶陽、山本陶秀、藤原啓、藤原雄
、伊勢崎淳の5人の人間国宝がいます。
Hagi ware:萩焼
March 2, 2008 5:28 PM Hagi ware : 萩焼

萩焼の歴史:
約400年前、豊臣秀吉と朝鮮半島に渡った毛利輝元が、現地の陶工 李勺光(りしゃっこう)、李敬(りけい)の兄弟を伴って帰国したことから萩焼の歴史が始まります。
毛利氏が萩に城を移した時も、陶工たちは毛利氏に同行しました。その後、李勺光は萩で御用品を焼く窯を開くことを許されました。
この窯が萩焼を焼く最初の窯となりました。李勺光の死後、李敬が窯を継ぎ、藩主から「坂高麗左衛門」の名を受けました。
「坂高麗左衛門」の名は現在も受け継がれています。
当初の萩焼の作風は李朝のものでしたが、その後、楽焼等の作風と新しく開発された釉薬等が取り入れられ、独自の個性を持った現在の萩焼が焼かれるようになりました。
