History and culture of Japanese ceramics:焼き物

Shigaraki ware : 信楽焼

Shigaraki ware : 信楽焼

March 21, 2008 6:33 PM   Shigaraki ware : 信楽焼

shigaraki素材1.jpg

信楽焼歴史:

 

付近の丘陵から良質の陶土がでる信楽は、長い歴史と文化に支えられ、伝統的な技術が今日に伝えられています。
信楽は日本六古窯の内のひとつに数えられています。
六古窯の中でも信楽の歴史は古く、聖武天皇が離宮を紫香楽(746年)に作った時に、宮の布目瓦や須恵器を作ったことから、信楽焼の長い歴史が始まったと言われています。

信楽焼は、中世末期頃より穴窯によって壺、甕、擂鉢などの焼き物づくりが始められ、独自の陶器産地としての歴史を展開してきました。
古信楽時代(平安末期から徳川初期)と呼ばれる時代には、一休和尚に師事した武野紹鴎や、弟子の利休らが、信楽を茶に取り入れました。
室町桃山期には、茶の流行と共に、"茶陶信楽"が生まれました。
天文 永禄年間(1532-1570)、武野紹鴎は、信楽焼を茶器に用い、利休も好みを焼かせました。
武野紹鴎が作らせた物は紹鴎信楽、千利休が作らせたものは利休信楽と呼ばれています。
利休は、自刃する最後の最後までこよなく信楽を愛したといわれています。
茶人、藤村庸軒や松江藩主で茶人大名として有名な、松平不昧公も信楽を愛用していました。

江戸時代に入ると、藩窯のあった伊賀焼に茶陶生産の地位を奪われていきました。
徳川幕府の御用茶壷を焼いたりしてましたが、その他の多くは、庶民のための、飯茶碗や壷、土瓶、火鉢などの生活雑器を焼いていました。
徳川に入ってから、伊賀がもてはやされて信楽が茶会に出てこないのは、信楽が伊賀に化けて使われていたとも言われています。

文化文政(1804-1830)の頃から、信楽焼は日用雑器を量産するようになりました。
山一つ隔てた伊賀焼では茶陶を中心に焼いていたが、信楽焼は生活雑器が主流となり、江戸後期には、ビードロ釉やなまこ釉などのさまざまな釉薬が用いられるようになりました。
明治期以降は、火鉢や絹糸製造に用いる絹取り鍋、汽車土瓶、植木鉢、庭園用陶器などを主に生産するようにりました。